令和の時代の幕開けですね!!
そんな時代のスタートを切るのは、『自分のアタマで考えよう』の著者でもあり、日本有数のアクセス数を誇る人気ブロガーのちきりん氏が「マーケット」の考え方を甲子園など身近な例を上げつつ分かりやすく解説してくれる本書の紹介です!
ではでは、さっそく行ってみましょう!
みなさんは、道端で金塊を見つけたらどうしますか?
おそらく、写真を撮ったり、持ち上げたりして目の前の金塊に大興奮するでしょう。
なぜなら私たちは金塊の「価値」を知っているからです。
では、幼稚園児だったらどうでしょうか?
目の前の大きな塊が何なのか分からず、食べられそうもなくつまらないので興味を示しません。
幼稚園児には金塊という「価値あるもの」に対する「価値を認識する能力」がないからです。
他にも価値を認識する能力に関していえば、高学歴で大企業に就職したにもかかわらず、自分には何の価値もないと思ってしまう人がいます。
彼らは、自分にはスキルが足りないなどと考えてしまいがちですが、本当に足りないものは「価値ある能力」ではなく「自分という価値を認識する能力」です。
彼らのように、すばらしい学歴や職歴を持っているにもかかわらず不安に押しつぶされそうな人がいる一方、ずっと少ないものしか持っていないのに、「なんとかなる」「なんとでもなる」という自信とともに世の中を生きていける人がいます。
ここでの両者の違いがまさに「売れるものに気が付く能力」であり、「価値を認識する能力」なのです。
本書では、筆者である人気ブロガー「ちきりん」さんが、これを「マーケット感覚」と呼んでその価値と有益性や身に着け方を身近な例で解説してくれます。
市場と価値とマーケット感覚
価値とはなにか?
ここでのポイントは、米の市場で取引されているものが、米というモノではなく「食卓に必要不可欠な主食」という「価値」だということです。
一方、スイカ市場で取引されているものは「おやつとしての嗜好品の価値」であり、米とは異なります。
世に出回っている商品だけでなく、自分が売る商品、サービスに対しても、「売っているものの価値は何か?」と考える癖をつけるのが重要です。
マーケット感覚で変わる世の中の見え方
消費市場と貯蓄市場の競争
世の中の市場には、「お金を使う世界」と「お金を貯める世界」との競争が存在します。
一般の人は、「銀行にお金を預ける」「住宅ローンを借りる」という言い方をしますが、金融機関で働く人から見れば、「定期預金を売る」「住宅ローンを売る」となります。
つまり、お金を貯める市場は一見、消費者からしたら「預金」ととらえられるが、貯蓄市場からすれば「貯蓄」という商品を売るという「消費」につなげている。
いわば、金融関係で働く人たちは、「貯蓄⇒消費」の考え方が出来ているということです。
一方、消費材メーカーやサービス業は
「子ども1人を育てるのに何千万円も必要だ!だから貯蓄を!」
と呼びかける金融機関に対して
「子どもが1人いれば、老後の費用はうんと安く済む!むしろ一緒に旅行や食事を楽しんでおくなど子どもや孫と仲良くなっておいたほうが、老後は安心です!」
と宣伝できるはずなのに、そんな広告は見かけません。
他にも
「死ぬときに何千万円も溜まっていたら、それで幸せでしょうか?お金は生きている時にこそ有意義に使いましょう!」
というキャンペーンがあってもいいはずなのに、目につくのは
「老後に備えて貯蓄を!」
という貯蓄市場の広告ばかりです。
つまり、消費市場は「消費⇒消費」ばかりで、「貯蓄⇒消費」の視点が足りていないということです。
マーケット感覚で見るボランティア市場
マーケット感覚を身に着ければ、ボランティアだって市場的にみることが出来ます。
たとえば、難病の子どもに海外での臓器移植が必要となれば、時には1億円の寄付が集まりますが、難病の中高年がいくら貧困にあえいでいても、国内での治療費100万円だって寄付を募るのは至難のわざです。
ここでいえることは、「私的援助市場」においては子供は大人より圧倒的に競争力があるということです。
他にも、特に日本では「カンボジアの子ども」の競争力が高く、学校建設を行うテレビ番組まであるほどです。しかし、障害者施設の建設となるとそうはいきません。
ここでも、残酷な言い方をするならば「カンボジアの学校は、日本の障害者支援施設よりも私的支援市場において競争力がある」と言えます。
ボランティアにおいても、「寄付をしたい!」という「需要」と、「支援を受けたい!」という「供給」の構図が見えてきます。
すべては「価値」から始まる
「選んでもらう」という価値
「本」ではなく「本を選ぶセンス」を売る書店
「選ぶという価値を提供する」という観点でいえば、もう1つ面白い試みをしている例があります。
北海道の砂川市にある「いわた書店」では、「あなたにピッタリの本、1万円分選んでお届けします!」というサービスで注目を集めています。
いまや、本なんて売ってももうからない時代。
それを逆手にとって「本を選んであげる」商品を売っているというのが先見の明が窺える部分です。
他にも、人工知能を使った「SENSY」という、コーディネートアプリも存在します。
人工知能によってユーザーの好みを分析し、ネット上で売られている洋服から、ユーザー好みの服を探してきてくれるのです。
いわば、
「このモデルさんの服が欲しい」「あの人のセンス、羨ましい!」
という思いをカタチにしたサービスです。
「日本で売れた!」は武器になる
「メイドインジャパン」を売りにする製造業者は多いですが、意外にも「SOLD in JAPAN」は見かけません。
「日本製」にこだわりがあるあまり、「日本で売れた」をという価値に気づいていないのです。
日本の消費者は要求水準がとても高いため、日本市場はしばしばテストマーケティングに使われたり、ブランドの信用補強にとても役立つのです。
つまり、「日本で売れた」は「クレジット(信用力)」として通用するのです。
高校野球が持つ、潜在的な価値
プロスポーツの市場で取引されているのは(=観客が求めているのは)
「思わず感嘆してしまうような高いレベルの技や、手に汗握るパフォーマンス」という価値
ですが、高校野球で取引されているのは
「全力で戦ったにもかかわらず、時の運で勝ったり負けたりする理不尽さや、技術レベルが低くても、気合と根性でがむしゃらにたちむかう若者たちの物語」
であり、観客に提供されている価値が両者で異なるのです。
自分という価値
自分独自の価値基準を持ち、プライシング能力を身に着けるには、ついている値段をいったん忘れて、「この商品、このサービスの自分にとっての価値はどれくらいだろうか?」と考える習慣をつけることです。
そうすると、「自分にとって何が価値であり、どんなものに、どれだけの価値があるのか」が分かるようになっていきます。
「自分独自の価値基準」が持てれば、値札のないものにも価値を見出すことが出来るようになります。
潜在的な価値に気づくマーケット感覚は、そうやって鍛えていくものだそうです。
フィードバックを得るために市場に出す
「これは売れる!」「高い評価を得られるはずだ!」
みなさんには、そう自信をもって世に送り出した商品やサービスが、世間の人にまったく見向きもされなかった経験があるのではないでしょうか?
市場は、言葉ではなく結果で、厳しいフィードバックを突き付けてきます。
しかし、「市場でモノを売る」というのは、「売ってみて、売れるかどうかを見て終わり」ではなく、「これでは売れませんよ」という市場からのフィードバックを得、そこからどう売り方や商品を改善するためにあるのであって、とりあえず「売ってみる」のです。
つまり、成功するためではなく、成功に不可欠なヒントを得るために売るのです。
ですから、最初から結果なんて求めてはいけないということです。
人気ブロガーやアフィリエイトで収入を稼ぐ人たちは、最初から素晴らしい文章が書けたわけではありませんよね。
人気YouTuberだって、初期の動画はひどいものです(じぶんにそんなこと言えるほどのセンスなんてないのは承知の上です(笑))
ですので大切なのは
「とりあえずやってみる⇒失敗する⇒市場からフィードバックを得る⇒それを参考にしてもう一度やってみる」というプロセスを出来るだけ何度も繰り返すことです。
大事なのは、「やってみる」ということ。失敗なんて当たりまえ。むしろ出来るほうがおかしいのですから、恐れてはいけません。
自分がこうやって読書ブログを書いているのも、いつか日を浴びる日を迎えるためです。
だから、閲覧数なんて全然多くないし、胸張って言える特技ではありません
「とりあえず書いてみる」をアウトプットするための手段に過ぎないのです。
おわりに
ちきりん氏の文章から引用
世の中には、「自分には何の取り柄もないから、市場で生きていくなんてとても無理だ」と感じている人が多くいます。それはまるで、「わが村には何もないから、公共事業や融資で助けてもらわないとやっていけない」と考える自治体と全く同じです。
しかしそので一方で、
「山しかない。山しかないから、山でとれるもので勝負しよう」と考える村もあります。
人も村も、市場で売れる価値をみつけられるかどうかは、マーケット感覚の有無にかかっているのです。