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本のご紹介、読書日記

脳には妙なクセがある 池谷裕二

脳には妙なクセがある (扶桑社新書)
脳には妙なクセがある (扶桑社新書)
扶桑社



ヒトの行動というのは、脳科学の発展によりいくらか分かってきたことがあります。



その中でも、割と不都合に思える不思議な行動というのも少なくありません。



そんな行動の背景には、ヒトならではの、他の動物には持ちえない「感情」があります。



その“不条理”とも言える行動と結びついた感情、すなわち「心理」を、本書では軽妙な文章で解き明かしてくれます。










脳は妙に自分が好き





他人の不幸を気持ちよく感じてしまう脳


最近、「妬み」についての面白い研究結果が発表されました。



まず、被験者に、社会的に成功してお金も持っていて、羨むべき生活をおくっている同窓生を想像してもらいます。
そして、「その社会的に成功してお金も持っていて、羨むべき生活をおくっている同窓生が、不慮の事故や相方のスキャンダルなどで不幸に陥った」という状況を想像してもらいます。



すると、快感を生み出す部位、すまわちドーパミンなどで知られる「報酬系」の「側坐核」という部分が反応したのです。


つまり、羨ましい人物の不幸を快感と感じているのです。



シャーデンフロイデという言葉があります。他人の不幸を喜ぶ感情のことです。



シャーデンフロイデは、脳回路に組み込まれたもので、どんなに表面を取り繕って同情するそぶりを見せたとしても、脳は他人の不幸を快感だと感じてしまっているのです。



これはもう、根源的な感情で、どうしようもないものなのです。



「他人の不幸をバネに」と自分を鼓舞するというのは、普遍的な心理なのかもしれません。




「ざまを見ろ」に至るプロセスとは




フェアではない行動をとった人、例えば汚職に手を染めて逮捕された役人が罰せられるのを見ると、脳の意外な部分が反応しました。



さきほど登場した部位です。



みなさんは、もう、お気づきですよね。



そう、「側坐核」です。



おそらく、罰を受けている人を見て、悦に浸っているのです。






脳は妙に知ったかぶる





「やっぱりね」は、それほど「やっぱり」ではない



こんな実験があります。



「アガサ・クリスティーが生涯に何冊の長編小説を書いたでしょうか?」という質問を被験者にします。よほどコアなファンではない限り、予想もつきません。



回答の平均は、51冊です。



実際には、66冊なのですが、しばらくしてから同じ回答者に正解を伝えます。



その上で、「あの時、あなたは何冊だと推定しました?」と聞いてみます



驚くべきことに、回答の平均値は63冊にまで増加するのです。



「かつての自分は、正解こそしなかったとはいえ、それでも正解に近い数を回答していた」と思い込んでいるのです。



私たちには、「自分は割と正しくこの事態を予測していたのだ」と勘違いするクセがあるようです。



つまり、「やっぱりね」という時の「やっぱり」は、それほど「やっぱり」ではない可能性もあるわけです。




避けようにも避けられない「後知恵バイアス」の不思議



上記の認知ミスは、「後知恵バイアス」と呼ばれ、日常生活にも多く見られます。




「あの時に株を売っておくべきだった」
「もっと慎重に運転していれば」
「うっかり酒の勢いで」
「あんな高いソファーを買ったのに使わないのなら、買わなきゃよかった」




などのような後悔の念も、あたかも「因果をはじめから知っていた」とでも言いたげな姿勢が前提となっています。



この「~すれば / していればよかった」という「後知恵バイアス」は根強いもので、避けようと注意してもなお取り除くのは難しいと言います。



だからこそ、謙虚になり、「今、自分の考えていることは絶対的に正しいとは限らない」と留意することが大切なのです。








脳は妙にブランドにこだわる






有機栽培、オーガニック食品…



健康にいいとされるこれらの農法を、私たちは何となく良いものだと信じてしまっています。



しかし、無農薬野菜は然るべき時に然るべき農薬を使用しないと、逆に痛みの原因となり、かえって体に悪いという研究結果も出ており、無根拠に「良い」と考えてしまっている私たちの思考の浅はかさが露呈してしまいました。



このような、先入観の影響は様々な場面で見られます。



ワインを飲むと、「内側眼窩前頭皮質」という、知的快楽を生み出す部位が活動します。つまり、おいしいワインを飲むことは快感なのです。



そこで、「5種類のワインを飲み比べてほしい」と依頼し、試飲前に適当にワインの価格を教えます。



しかし実際には3種類のワインしか用意されておらず、その中から適当に5回選んで飲んでもらうだけ。教える値段もデタラメなのです。




こんな、詐欺のような実験、どんな結果が出たと思いますか?




面白いことに、教えられた価格が高いほど、内側眼窩前頭皮質が強く反応していた、という皮肉な結果だったのです。




食事の「おいしさ」は含まれる化学物質だけではないということは経験的に分かっていますよね。それが、如実に表れた面白い事例です。



「高級料理を食べている」という実感もまた、カギを握っているのです。




ブランド、オーラ、ムード、カリスマ…



そんな見えざる力に動いてしまうのがヒトの脳なのです。



しかしこのことは、恥ずかしいことではなく、私たちの脳はそもそも「ブランド」に反応うように出来ているのです。






脳は妙に自己満足する





脳は感情を変更して解決する




たとえば、買い物でお気に入りの服が2つあったとします。洋服Aと洋服B。同じ蔵気に入ったのですが、両方買うだけのお金がなかったとします。断腸の思いでAを選びました。



さて、このとき、洋服AとBの印象はどのように変わるでしょうか?



これについてアンケートをとると、選択前に比べて選択後はBへの平均評価が低下することが分かったのです。



つまり、自分が選ばなかった方の洋服について、「それほど良くはなかった」と言えkンを変えてしまっているのです。




みなさんにも、こんな経験はありませんか?




欲しくても買えなかった服に対して、「もしお金があったとしても買わなかったかなぁ」って自分に言い聞かせようとする…



これらはまさに、「認知的不協和の解消」という心理行動の一種です。



自分の「行動」と「感情」が一致しないとき、この矛盾を無意識のうちに解決しようとするのです。



つまり、行動か感情かどちらかを変更するのです。



変更しやすいのは、言うまでもなく感情の方ですよね。行動は既成事実として存在していますから。



洋服Aと洋服Bは、初めは同じくらい好きだったかもしれません。しかし、自分はAを選んでしまった。その行為は変更できません。



そこで、「BもAと同じくらい好きだった」という先の感情を、「本音を言えば、Bはそれほどいいとは思っていなかった」と書き換えてしまうのです。



そうして、自分の中に「行動」と「感情」の不一致がない状態にする「自己矛盾の解消」を行うのです。





子どもにだって自己矛盾を解消しようとする心理がある



このように、心の不協和を無意識のうちに解消しようとする心理行動は。大人だけでなく子供にも存在します。



「そのオモチャで遊んでは絶対にダメ」とお母さんに厳しく諫められた時 と「遊ばないでね」と優しく言われて遊ぶのをやめたとき、子どものオモチャに多知る好感度を比べます。



すると同じオモチャであっても、優しく諫められたほうが、好感度が減っていることが分かったのです。



要は、優しく言われた場合は、他人から指示されたとはいえ、多少の自由が残り、完全に自分の意志で遊ぶのをやめたのとは異なります。



この、「強制的に遊ぶのをやめないといけない、というわけではない」という「感情」と、「遊ぶのをやめた」という「行動」矛盾を解消するために、「遊ぶのをやめた」という行動に見合う感情を引き起こすのです。



「遊ぶのをやめたのだから、そのオモチャは大して面白くなかったのだ」というわけです。








脳は妙に使いまわす





何事も始めたら半分は終了!?



脳には入力と出力の2つがあり、身体運動である出力がより大事だと筆者は言います。



理由は、脳は出力することで記憶します。脳は、どれほどその情報を使ったか、を基準にして情報を頭に入れておくか判断します。



これは、「笑顔」という表情の出力を通じて、その心理結果に見合った心理状態を脳が生み出すのと似ています



睡眠も、「寝る」という出力が先で、「眠い」という入力は基本的に後です。



「やる気」も同様で、やり始める(=出力)とやる気(=入力)が出る)というケースはよくありますよね。



掃除をし始めたら、俄然やる気が出てしまって止まらなくなった。



というようなケースです。



何事も始めた時点で、半分は終わったようなもの」とはよく言ったもので、私たちの脳が「出力を重要視する」ように設計されているのです。



だからこそ、「始める」という最初にして最大のハードルを越えてしまえば、あとは「やる気」にまかせるだけ






こんな風に、脳とうまく付き合って生きていけるようになれば、私たちの生活というのは、さらに生き生きとしたものになるのではないでしょうか。

2020年 人工知能時代 僕たちの幸せな働き方

 


2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方
2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方
かんき出版
2017-05-15




”AIが人間の仕事を奪う!?私たち人類の運命やいかに!?”




先日、電車の車内広告に掲載されていたフレーズです。



AIが人間を上回るとか、雇用がなくなるなどという、闇雲に不安を煽る、悲観的な見方が世間では広まっているようです。



私たちの生活において、今や「AI」という言葉を目にしない日はありません。



そんな中、AIは人間を「楽にさせてくれる」という見方を示しているのが本書の筆者である藤本貴教氏。



人工知能が当たり前となる近い未来に向けて、「私たちがどのように働き方を変えればいいのか」「どんなスキル・能力が必要になってくるのか」を分かりやすく解説してくれます。




目次


第1章 人工知能はどこまで進化しているのか?
第2章 1人1人はどう進化していけばよいか?


第3章 組織のリーダーはどう進化していけばよいか?
第4章 人工知能時代の新しい働き方のモデル
第5章 人間の強みを突き詰める






面白かった内容


21世紀のAI像



かつての便利は、誰かの苦労・負担で成り立っていた。



例えば、Amazonの、注文の翌日に商品が届くというのは運送会社のドライバーの犠牲の上に成り立っていた



それは、人と人とがプラスとマイナスの関係



しかし、21世紀には、その負担の一部をAIが背負う。



いわば、人とAiがプラスとマイナスの関係



AIは、私たちの仕事・生活を「楽に」してくれる存在だということ。


そして、楽になった先に、人は「新たな楽しみ」を見つけ、人生を豊かにすることが出来るのです。




まずは、AIを知る


AI時代の働き方のステップとして、AIを



①知る
②使う
③創る



があります。



皆さんは、LINEの女子高生AI、「りんな」を知っていますか?


日本マイクロソフトのAIが搭載された女子高生キャラで、誰でも友達となって気軽に雑談が交わせます。


「りんな」を「知る」という第一ステップを踏み、実際に使ってみる。


そうすることでAIに対する恐怖心を払拭できます。





なぜ銀行の融資担当者の仕事はAIに置き換えられるのか?


「10年後、AIに奪われる仕事リスト」
「あなたの仕事は危ない!?AIに奪われる仕事トップ10!」



こんなようなものを目にした人、多いと思います。



あからさまにこちらの不安を煽り、AIに対して恐怖心や不安を増幅させてしまう要因の1つとなっています。



しかしここで考えるべき大切なことが1つあると筆者は言います。



それは、「AIに仕事が奪われる」と思考停止に陥るのではなく、どんなテクノロジーによって、どのように仕事が置き換えられていくのかを自分の言葉で語れるようになること。



例えば、銀行の融資担当の仕事なら、


カメラの精度と顔認証技術というテクノロジー + 名前と顔認証が関連付けられたBIGデータ


この組み合わせにより、「この人に融資しても信用に値するだろうか?」とその人のデータをいちいち人が参照しなくても瞬時にAIによって判断できます


そのうえで、人間が、本当にその人に融資しても大丈夫かどうか判断すればいいのです。


従って、「銀行の融資担当者のは仕事」は、「なくなる」のではなく、「AIが一部を肩代わりし、人に別の仕事を与える」という変化をもたらすのです。



他の仕事においても同じです。


「AIが人間を凌駕して、人間の仕事を奪ったらどうしよう!」と漠然とした不安に駆られても仕方がありません



AIがもたらす「変化」を予想し、「働き方」や「仕事の中身」を自ら変えていくのです。





AIが苦手な領域から、人間の仕事の価値を考える



次の図の中で、AIが得意とする領域はどこでしょうか?



感覚的に分かると思いますが、左下の領域です。



AIは、「論理的に分析し、大量のデータを統計的に処理し、何度も何度も繰り返す」ことを得意としています。



逆に、AIが苦手とする領域は右上です。



つまり、


「創造的に考えることがより必要な領域」
「身体性や感性が求められる領域」


では、まだまだ人間のほうが優位であることが分かります。






より右上に近づくには、左上と右下を同時に瞬時に延ばすことは不可能です。




仮説を立てる コミュニケーター



まずは、左上から。



ここでは、目の前の出来事を当然と思わず、


「これって何か変じゃないかな?」
「そもそもこれってなんでこうなってるんだっけ?」


と疑問を持ち、問い直すことで、


「じゃあ、どうしたら良いんだろう?」


という仮説を立てることが出来ます。



問いを持ち、仮説を立てるためのエネルギーである「好奇心」にあふれている人間をめざす。そんな人間は、AIには簡単には代替されません。



AIがどんなに高速で大量の分析が出来たとしても、「何のために分析をするのか」を考えるのは人間の仕事だからです。



AIに分析させたデータから、「何を知りたいか・何を予測したいか」を考える。



これが、仮説を立てることに繋がります。



人が好き・場に安心感を与える モデレーター


そして右下。



ここでは、豊かな感性や想像力、直感を駆使して、人とコミュニケーションを図り、周囲を心地よくする雰囲気を生み出すのが上手い人が含まれます。



飛んだ発想 イノベーター



最後に、人間が目指すべき、AIと対極に位置する右上の領域です。



既成概念に囚われず、自分の感覚や発想で、今までにない新しい価値観を生み出す仕事。



ここに至るには、今の仕事で



より感性的・身体的・直感的になるにはどうすればよいか」を考えるか、


問いを立てるにはどうすればいいか」を考えていくことが実践的かつ現実的です。





トライアンドエラーでより良いものを デザイン思考



下の図は、スタンフォード大学による、イノベーションを生む思考法です。






左から右に進むもので、一言でいうと


 「現場ユーザーの想いを徹底的に深堀りし、その上でユーザーの予想を超えるプロダクトを、トライアンドエラーを繰り返しながら高速で生み出していく」というアイデア手法です。



こうして文字にするとなんだか難しそうですが、要は



会議室でいつまでも「正解探し」をするのではなく、「とりあえずアウトプットしてみて、現場の反応を感じて、手を動かしながらどんどん前に進んでいく



デザイン思考もまた、「体験することで身についていく学び」です。




Googleが発見した関係性の価値



Googleが社内の様々なデータを分析した結果分かった、社員の生産性を高めるポイント。それは



「心理的安全性」



でした。


心理的安全性がある職場とは、「自分の発言に対して、チームメンバーがそれを冷かしたり、否定したり、非難したりしないという信頼感がある」ということです。



やはりここにも、場に安心感を与えるという先述の「モデレーター」の側面が垣間見ええます。



人と人との関係性を高めることは、遠回りに見えるかもしれないが、生産性の向上チームの一体感、それによるスピードの向上をもたらし、イノベーター的発想を導きます







終わりに



人間は意思を持つ



ある人工知能ベンチャーが、「AIと人間の違い」を分かりやすく教えてくれました。



AIは、データを与えると、そのデータを鵜呑みにする。


「なぜこのデータを私に与えたのか」という理由は考えずに、ただ鵜呑みにして学習する。



しかし、人間は「なぜこのことを学べと私にいうのか?」を考えます。



この「学習する理由」を考えることを本書では「問いを立てる力」だと説明してくれました。




テクノロジーを使うからこそ、人にしか出来ないものが見えてくる



ヤマト運輸は、再配達日を教えてくれるLINEサービスを始めました。



今までは、不在通知がポストに入っているのを見て再配達以来の電話をしていたわけですが、これは電話をする側(=お客)も電話を受ける側(=ドライバー)にも負担でした。



お客の便利快適のためにドライバーがその負担を背負っていたわけです。




しかし、ヤマト運輸のLINEチャットは、荷物がいつ届くのかを事前に知らせてくれて、その時間に不在だと分かったら、チャットで時間の変更が出来ます。



これは、お客もドライバーをも「楽に」させてくれるテクノロジーです。



そして、このテクノロジーが生まれたことで、ドライバーは何をすればいいでしょうか?



どんなテクノロジーが人の仕事を変えるのかを考えることの重要性を筆者は説いていましたよね。



つまり、ドライバーのみなさんは、荷物を届ける時にハキハキと笑顔でお客さんに接すればいいのです。



「今日は暑いですね。熱中症には気を付けてください」
「お宅のワンちゃん、可愛らしいですね」



というような、気の利く一言を言えるようにすれば良いのです。




これが、「気の利く一言・ヒューマンタッチ」な「モデレーター」への第一歩となるのです。




本書で一貫して述べていたのは、



「人間が人間らしく生きることの大切さ」


でした。




人間の良い部分・悪い部分も含めて「人間らしく生きること」がこれからの時代、重要になっていくとともに、AIに対する悲観的な風潮を払拭してくれる一冊でした。

センスは知識からはじまる ~センスは、知識で身につける「スキル」である~   水野学


センスは知識からはじまる
センスは知識からはじまる
朝日新聞出版
2014-04-18




「センスって生まれつき備わっているものだから、鍛えられるものじゃないでしょ?」


そう思った方にこそ読んでいただきたい1冊です



自分も、センスって何か漠然としたものというイメージで、デザイナーなど、一握りの方にのみ備わっている感覚だと思っていました。


しかし、本書はその「センス」という多くの方が”感覚的”だと捉えがちであるものを言葉で定義し、センスに対する誤解を解いていき、どのように鍛えたらいいのかなどを解説してくれます。



目次


prologue センスは生まれついてのものではない
Part1 センスとは何かを定義する
Part2 「センスの良さ」が、スキルとして求められる時代
Part3 「センス」とは「知識」からはじまる
Part4 「センス」で仕事を最適化する
Part5「センス」を磨き、仕事力を向上させる
epilogue 「センス」はすでに、あなたの中にある





センスとは何だろうか? 



「センスが良い悪い」と私たちはよく口にします。


服を選ぶ時のセンスとは「カッコいいかそうでないか」と同じような意味だと思います。



では、経営のセンスとは「売り上げが良いか悪いか」「業績が上がっているか下がっているか」でしょうか?


たとえ業績が良くても、社員の犠牲の上にそれが成り立っていたら、経営者としてはセンスが良いとは言えませんよね?


逆に、業績がいま一つでも、よい人材を育成し、活き活きとした職場を作り出せている経営者はセンスが良いと言えるかもしれません。



つまり、「センスの良さ」とは、数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化することです。



売り上げや業績といった目に見えてるものは数値化できますが、センスは単純に数値化することはできないのです。



おしゃれもカッコよさも可愛らしさも、数値化できません。



しかし、そのシーン、その場にいる人、自分の個性に合わせて服装の良し悪しを判断し、最適化することはできます。それを「カッコいい、センスが良い」と言うのです。



「日本で一番売れている服」はある程度数値によって図れますが、それを着たらセンスが良くなるわけではありませんよね?





まず「普通」を知ることが必要である



センスが数値化できない、目に見えないものだからこそ、センスは「分かりにくいもの」「特別な人だけが生まれつき備わっているもの」「天から降ってくるひらめきのようなもの」というイメージを持たれてしまうのでしょう。



それ故に、商品開発や企画の際に、「いまだかつて誰も思いつかなかった、普通じゃないアイデア」を追い求めてしまいます



しかし、センスが良い商品を作るには「普通」という感覚が非常に大切になってくると言います。



普通とは、大多数の意見を知っていることでもなく、常識的であることとも違います。



普通とは、「いいもの」が分かるとこと。
普通とは、「悪いもの」も分かるということ。
その両方を知ったうえで、「一番真ん中」が分かるということ。



そのためには、多角的・多面的にものごとを測ったうえで「普通」を見つけ出し、設定する能力が必要です。



あるものが核に持っている「価値」というものを観察し、それと同じような価値を持つものを他に探してみて、それらを比較する。すると、それらの持つ「良い・悪い部分」が見えてきて「普通」が分かります



そして、自分が認識している「普通」の基準と、あらゆる人にとっての「普通」を、イコールに近づけられるようになればなるほど、数値化できないものを最適化しやすくなる、と言います。





子どもは自由にセンスを発揮している



芸術は、絵を描く、歌う、踊ったり体を動かすという、美術、音楽、体育の3つが当てはまると筆者は言います。



幼稚園児は、みんなすごく楽しそうにクレヨンを握り、夢中になって自由な線を描きます。



ところが、無邪気に歌ったり、絵を描いたりすることを楽しんでいた子供は



「絵が上手い・下手」「歌が上手い・下手」



という、数値化できない基準で評価されてしまいます。



しかし、美的センス=実技ではありません



優れた画家を育ててきた画商たち、審美眼というセンスが非常に優れており、絵が描けずずとも美的センスがある人たちでした。



音楽のセンスがある人が、美声の持ち主とは限りません。歌が下手、楽器も触れないし曲も作れない。だけど、歌の良し悪しを聞き分ける名プロデューサーはいますし、彼らは音楽のセンスがある人たちでしょう



だから、私たち一般人にだって実技以外の美的センスは鍛えられるのです。





すべての仕事において、「知らない」は不利



先程、普通を知ることがセンスを身につける方法だと書きましたが、普通を知る唯一の方法は知識を得ることです。



センスとは知識の集積である




これが、筆者の考えです。



たとえば、文章を書く時に「あいうえお」しか知らない人と「50音全て知っている」人とでは、作られる文章のクオリティが雲泥の差であることは容易に想像できます。






ひらめきを待たずに知識を蓄える



最初に、商品開発や企画を考える時に「誰も見たことがない、斬新な発想」「他とは全然違うもの」を目指そうとする人がいると書きました。



しかし、まずは「誰もが見たことのあるもの」という知識を蓄えることが大切だと言います。



筆者の経験上、「誰も見たことがない、あっと驚く画期的なアイデア」というのは世の中のアイデアの中の2%ほどに過ぎないと言います。



逆に、「あっと驚く売れないアイデア」というのは63%にも及びます。



つまり、「誰も見たことがないような、あっと驚く他とは異なる斬新なアイデア」をひらめきたいという人は、たった2%にばかり目がいき、全体の63%を無視してしまっているのです。




まずは、「あっと驚く売れないアイデア」に目を向け、現実の厳しさを知ってから「あまり驚かないけど売れるアイデア」を模索するといいと言います。



新たにものを作るためには、過去に存在していたあらゆるものを知識として蓄えておく必要があります




イノベーションは、知識と知識の掛け合わせである



よく、アイデアは「○○と○○の組み合わせである」と耳にします。



世の中に既にあるものをAとすると、「あっと驚かないけど、新しいもの」というのはA'であり、いきなりXまで飛んでしまうと、世の中に受け入れられないと言います。




「あっ!」というより「へぇー」にヒットは潜んでいる




筆者はそう考えています。


ワープロや固定電話を使っている人にとって、携帯電話は「へぇー」ですが、江戸時代の人に渡したら、それはさきほどの例でいうXであり、「え?」という反応だけで「どこがいいの?小判が出てくるわけでもあるまいし」と言われて終わってしまいそうです。



あっと驚く心の裏には、恐怖も潜んでます



もし、「明日、火星に連れてってあげるよ」と言われたら、みなさんはどうしますか?



「はい!ぜひ!」と即座に答える人は少ないはずです。



新しいものを疑う気持ち、どんな感じかを感じ事前に確かめてから行動したい気持ちは、原始時代から存在します



「確かめたい本能」がなければ、「食べログ」や「トリップアドバイザー」などのサービスも生まれなかったはずです。



人間は、新しいものに接したとき、過去のものや知識に照らし合わせて考えるのが自然だうことです。




みんなが「へぇー」と思うものは、ある程度知っているものの延長線上にありながら、画期的に異なっているもの。「ありそうでなかったもの」です。



従来の考え方を遠ざけ、独創性ばかりに気を取られてしまうと、誰にも受け入れてもらえない「独りよがりのクリエイティブ」になってしまいます



新しさを追い求めながらも、過去に対するリスペクトも大切であると言うことです。





知識を効率よく増やしていく3つのコツ




①王道を知る
②今、流行っているものを知る
③「共通項」や「一定のルール」がないかを考えてみる




なにか企画を考える時も、「○○の王道・定番はなにか?」と考えたり、「流行っている○○のお店に足を運んだりする」「王道や流行以外にもいろいろな○○に共通しているものは何だろう?」とするのが大切です。





「お洒落だなぁ」「センスが良いなぁ」と感じたときにするべきこと



カフェや雑貨屋さんに足を運んだ時、誰もが「お洒落だなぁ」「センスいいじゃん!」などと思うことがあると思います。



そのときに、「自分はなぜ今、お洒落だなぁと感じたんだろう?」と考える癖つけるをつけると、センスに対して敏感になると思います。



そうすることで、過去に自分が感じた「お洒落」「センスの良さ」を引き出すことが出来、それらの中にある共通項や一定のルールなどを見つけ出すことが出来るからです。



これは、誰もが出来ることであり、自分もやってみようと思いました。