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本のご紹介、読書日記

『革命のファンファーレ』~現代のお金と広告~ 西野亮廣  



革命のファンファーレ 現代のお金と広告
革命のファンファーレ 現代のお金と広告
幻冬舎
2017-10-04

 


"革命のファンファーレは鳴った。農業革命や産情革命よりも大きな革命が僕らの時代を直撃した。情報革命だ。
 ものの売り方が変わり、働き方が変わり、お金の形が変わり、常識が変わり、道徳が変わっていく。超高速回転で。"





芸人として活躍する一方、絵本作家として世に送り出した作品を次々とベストセラーに仕立て上げた西野亮廣氏。その中でも特に売れた彼の作品『えんとつ町のプペル』に用いられたお金の集め方やその根底にある彼自身のお金に対する考え方、そして芸人としての自身の捉え方や広告論を本書の中で展開する。




彼の口調はさっぱりとしていてブレない。自分の軸を決してズラさない姿勢がありありと伝わってくる。
そんな彼の文体にどんどん引き込まれていった。




本書は『えんとつ町のプペル』の誕生の裏側に始まり、そしてそこで使われたマーケティングの手法、彼自身の絵本、お金、広告などへの姿勢を述べ、人々の行動分析、インターネット時代に必要な、以前の常識からの脱却、販売戦略と続いていく。



印象的な部分


お金とは信用である


例えば、自転車が欲しければ自分がもっているお金(=信用証明書)と自転車を交換する。お金が貝殻だった時代から変わらないのは「お金とは、信用を数値化したものである」ということ。




好感度」と「信用」、「認知」と「人気」は全く別物である


タレントは視聴者から容易に好感度を得られるが、信頼は得にくい。一方、アーティストは信用を得やすい。
テレビタレントはギャラの出処がスポンサーで、そこに信頼関係はない。
アーティストはお客さんからのダイレクト課金が収入なので、お客さんとの信頼関係が存在する。
そしてテレビタレントは「好感度」を得た結果、人々に「認知」され、スポンサーからギャラを得られる。
アーティストは人々に「認知」され、「人気」を得るとお客さんからお金という「信用」を頂ける。



つまり、認知から好感だけ得られるのがタレントで、お金という信用を得られるのがアーティスト。ベッキーとゲスの極み乙女の不倫騒動でベッキーが活動停止になった一方、ゲス側はそうはならなかったのはこの点から説明できる。




お金を稼ぐな信用を稼げお金は後からついてくる



信用を勝ち取る方法の一つは「嘘をつかない」ことだと彼は言う。



そして嘘は「感情」でつくのではない。我々は「環境」によって嘘をつかされる




入り口でお金を取るな。マネタイズのタイミングを後ろにズラして可能性を増やせ。

映画『君の名は』や村上作品にしても、作品の内容がニュースになることはほとんどなく、ニュースになるのは賞だったり作品にまつわる数字だ。



売れている作品がさらに売れる理由の1つは、売れている作品がニュースにしやすい数字を持っているから




また、テレビの無料放送は入り口(=視聴)でお金を取らず、後に番組のグッズや有料放送、会員加入につなげるマネタイズの為
「無料公開してユーザーを増やして、そのうち100人に1人でいいからお金を払ってくれる人がいたら売り上げが伸びるよね」という判断のもと、そういうシステムを採ってる。




テレビにしてもツイッターにしてもGoogle、Yahoo!にしても、私たちは直接お金を払ってない。無料にすることでより多くの人に利用してもらい、多くの人が利用しているという価値を生み、広告枠その他で売り上げを伸ばしている
一見、無料のようで実はマネタイズのタイミングを後ろにズラしているだけの話。




「すべてのサービスには、利用したその瞬間からお金を支払うべき」と考えてると、ツイッターやGoogleなどのマネタイズのタイミングをズラすという発想は出てこない




人が行動するときの動機はいつも「確認作業」


時代は変われど、変らないものがあると言う。それは



「人が時間やお金を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって確認作業で、つまりネタバレしているモノにしか反応しない




ルーブル美術館のモナ・リザを見に行く人はテレビか教科書か何かで既にモナ・リザを見ている。
これがもし「お金を払ったら有名画家の素晴らしい絵を見せますよ」という「袋とじ」や「福袋」的な商法をしていたらここまで有名にならなかった。





つまり、人はけっこう冒険しないもので、すでにある程度知られていて、実力が測られているモノにしか反応していない
そして「それを生で見たらどうなるの?」というような「確認作業」のために重い腰を上げている




だから、無料公開して人々の確認作業(=実際に手に取ってもらうことや足を運んでもらうこと)につなげることがインターネット時代の生存戦略





さらに、無料公開する際のテクニックとして、ビジネス書や連続ドラマ、一話完結型の番組などの分解可能なサービスは無料公開の出しどころを散らすことで、「それら散った情報回収のコストよりも実際にまるまる一つの作品やサービスを買ってしまったほうがコストが抑えられる」という判断を誘い、売り上げが伸びる




”作品の無料化は完全な実力社会を生み、格差を発生させる”




端的にいうと、無料化は「実力の可視化」であり、それによりこれまで以上の格差を生む。
実力のないものの作品は淘汰され、実力のあるものは評価されるからだ。




だから、無料公開が常識になった今やるしかないことは1つ、「作品のクオリティを上げること」だ。




「体験×おみやげ」で作品を売る

僕らは、有名な画家の作品は買わないのに、旅行先で作者不明のオブジェは買ってしまう。
新品の本は買うのを躊躇うのに、訪れた博物館や美術館で本よりも高いパンフレットは買ってしまう




ここから言えることは、人は「作品」にはお金は出さないが、「思い出」にはお金を払うということ。




作品は生活必需品ではない。だから買う人はめったにない。
しかし同じ「作品」であるはずの「おみやげ」にはお金を払う。




「作品」が「思い出」に変わるからだ。



今は、ほとんどの娯楽がスマホで完結してしまう時代。


そんな中でも「体験」はスマホでは出来ないからこそ「体験」と「作品」をつなぐ





「作品(=おみやげ)」×「体験」「モノ消費&コト消費」なのだ。



信用時代の宣伝は、口コミが最強。口コミをデザインしろ。

知らないイベントの宣伝の「面白いから来てね!」よりも、友人の「めちゃくちゃ面白かった!お前も行ったほうがいいぞ!」のほうが心が動く。


それはなぜか?




どこぞの知らない広報担当者の「来てね」は信用がなく、友人の呟きは友人たる故、信用があるからだ。




現代の宣伝力は、つまり信用力だ。信用が担保されていない広告になんの広告効果はないのだ


そしていかに口コミさせるかが広告のカギとなる。
その口コミの発信者の友人の心を動かすからだ。




要は、口コミを出す人の友人関係を利用するわけだ。
自分一人で広告してはいけない。広告させることが大切なのだ。




お客さんは、お金を持っていないわけではない。お金を出すキッカケがないだけだ。




なぜ本屋さんで本が売れないのだろうか?




本一冊の値段は約1.500円。
同じ1,500円でも友人へのプレゼントには惜しみなく出すし、ましてやそれよりも数倍高いシャンパンをキャバ嬢に買ってあげる客だっている。



ここにどんな心理が働いているのだろうか?



プレゼントやシャンパンにはあって、本屋さんの本にはないもの、それはコミュニケーション



本屋さんで本を買っても誰ともコミュニケーションは生まれない。
だから本屋さんでは買わない。




そして本屋さんに抜け落ちているモノ、コミュニケーションの他にもう1つ。「お客さんの手柄」だ。


僕たちがプレゼントを買う理由は「相手に喜んでもらいたいから」



ではなぜ喜んでもらいたいのだろうか?



目の前の相手を喜ばせたとき、ポイントはどこに入るだろう?





そう、「自分」だ。





僕らは自分のポイントを上げるために、目の前にいる相手を喜ばせる。 


しかし本屋さんで本を買っても自分にポイントは入らない。


ここにお客さんの心理の違い、売れるか売れないかの境界線が存在する。




だから、何かを売りたいときは、購入の後押しとなる一言だったり、自分にポイントが入る環境だったりを整えてあげる必要がある



後悔の可能性」を片っ端から潰せ


西野さんが『えんとつ町のプペル』のポストカードを売ろうとしたとき、商品棚に並べるのは1点か3点か10点かでそれぞれ試したという。


「1点」の時は、お客さんからするといきなり「買うか?買わないのか?}を迫られる状況になるということ。
そうすると、「他に比較対象がないのに買っても大丈夫なのか?」という「後悔の可能性」が生まれ、途端に買われなくなる
この1点が信用を持っていたら話は別なのだが。



「3点」の時は「どれが一番いいだろうか?」と考えているうちに結構な確率で買ったという。



3つの中から”自分で”選んだので「後悔の可能性」が少ない



「10点」の時は3点と同じく「どれが一番いいんだろうか?」とお客さんは考える訳だが、選択肢が多すぎるので「ここで1つ選んで買ったとして後で「あれ」にすればよかった……と後悔しないだろうか?」という「後悔の可能性」が生まれるので、結局、商品棚から去ってしまう。




要は、お客さんを動かす「モノの買わせ方」は「後悔の可能性」を取り除いてあげることだ




その辺に落ちてるゴミが売れないのは、ごみを買ったら後悔するからに他ならない。
その後悔さえなくしてしまえば簡単な話、ゴミでも売れる。




ここで、西野さんの実験の他の実験を紹介する。


「ゴミ=100万円」という値札の「100万円」を赤いペンで斜線を入れ、「大特価!本日に限って100円!!」としたところ、すぐに売れたという。



その人は100円で「ネタ」を買ったのだ。
100円で会話の中心となれるコミュニケーションツールを買ったのである。





このように、「ネタ」という付加価値をつけてあげれば、「後悔の可能性」を取り除くことができ、ゴミでも売ることが出来る




出版のハードルを下げ、国民全員を作家にする出版サービス、「おとぎ出版


「本を出版したい」という声がたくさんあるのに、出版社は首をタテに振らない。
流通などの「中間の取次」があるから数千~1万冊売れないと採算が合わないのだ。


結果的に、数千~1万冊は売れる見込みがある作品しか出版社は受け入れない。



「おとぎ出版」は、ニッチ(個人作家)向けのサービス。


仕組みはこうだ。


1.本を出したい人がクラウドファンディングで事前にその本の買い手を募る。
2.100人の買い手が見つかった時点で出版が決定。
3.「おとぎ出版」がその本のデータを受け取り、製本し、買い手に届ける。


取次を介していないので印税は従来の数%から33%に跳ね上がる。


作家はその本の実績をもって大手出版社に売り込んで、マス向けの本を出版してもらうことだってできる


要は、マス向けまでの「橋渡し役」を担うのだ。




本ではなく、店主の信用を売る古本屋、「しるし書店




”キズ本”




本に書き込みやページの折れがあると途端に価値を失うが、それら”キズ”が孫真和さんnよるものだったらどうだろう?



孫正義さんが読んで、孫正義さんが線を引き、孫正義さんがページを折って、孫正義さんが余白部分に書き込みをした、そんな、孫正義さんの「しるし」が入った、BOOKOFFでは取り扱ってもらえないような”キズ本”は、むしろ定価よりも価値があるのではないか?


孫正義さんが「どこを見て、何を面白がったか?」という、”孫正義さんの視点”が付加価値になっているからだ。



そう、「しるし書店」は店主(自分が読んだ本を売るから)の視点、つまりは店主の信用を売っているのだ。



今まで、スポーツが得意な人には「スポーツ選手」という「職業」、音楽が得意な人には「音楽家」という「職業」が存在していたのに、読書が得意な人には職業が与えられておらず、「趣味」の中に埋没されていた


「しるし書店」は、読書家の「読書が得意な人が勧めるあの本、面白いな!」という信用をお金化するのだ。



”今の時代、すべての信用は「お金化」できる。あとはその信用をお金に換える「両替機」を用意するだけ”




踏み出す勇気は要らない。必要なのは「情報」だ。


自分の個性というのは「編集結果」だ。



”編集素材たるアイデア(=他人の脳ミソ)の待ち合わせ場所になった者勝ちで、とにかく行動する人間が待ち合わせ場所として重宝される”



つまり、人から情報を与えられる、それも持ち掛けられる形でアイデアを得た人が行動して行動して、さらなる情報を勝ち取り、次の行動を生む



そして行動することに勇気は要らない。



子どものころに1人で電車に乗れなかったのに、今は乗れるのは、勇気を手に入れたからではない。「電車の乗り方」という情報を手に入れたからだ。



要は、情報さえ手に入れれば行動できるのだ。勇気云々という次元ではなくなる。




”情報は、行動する人間に集まり、さらなる行動を生み、また情報が集まってくる



だから情報を手に入れる努力をするしかない行動は後でついてくるから




何かやりたいことがあるなら、それに関する情報を徹底的に集める




感想


「なんてすごい人なんだ」



読み始めた10秒後には西野亮廣の世界観に連れていかれた。



常に時代の移り変わりを冷静に見つめ、「おかしい」と思うことはとことん追求し、「正しい」と思ったことはどんなに大勢に反対されようと実行し、反対派を自分の味方にまでしてしまう。


そして自分の作品が売れるためにはどうしたらいいかを人間の行動原理から突き止める姿勢やマーケティング理論にただただ感銘を受けた。


もたもたしている暇はない。彼の成功を「真似る」ことから始めてみようと思う。